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2005年09月08日

第5回 株式会社 成瀬 代表取締役社長 福井 誠司 様

PROFILE
株式会社 成瀬 代表取締役社長 福井 誠司 様
昭和34年盛岡市生まれ。
大学3年の夏、先代社長である父に請われて後継者になる覚悟を決める。4年半のサッポロビール勤務時代、ワインの醍醐味を知る。当時知り合った奥様(現ワインアドバイザー)と岩手に戻り昭和63年に(株)成瀬入社。銀河高原ビールの立上げに関ったり、「カーヴ&レストラン ヴァンダンジュ」をオープンするなど新規事業を積極的に展開。大手資本が進出する中で、地場資本の酒問屋の生き残りをかけたビジョンと戦略に力を注ぐ若手経営者。






■合法的ドラッグに囲まれて育つ

さゆり 商売柄、お酒をたしなまれたのは早かったのですか?
福井  いや、うちは酒に厳しくてね。高校生くらいになれば、正月の宴席で「ちょっと飲むか」みたいになるでしょう?でも親父は「絶対だめ!」って、それは厳しかった。酒って「到酔性」があるから 世の中にある唯一「合法的なドラッグ」ですよね。
さゆり 合法的なドラッグ!(爆笑)言われてみればそうですね!
福井  我が家では「酒は一日の〆」であると。ところが、学生は寝る直前まで勉強できる状況にしておかないといけないから厳しかったんでしょうね。でも親父って基本的には息子と飲みたいものなんですよ。大学の合格発表の時は即ビアホールに連れて行かれて、心おきなく一緒に飲みましたよ。(※ 2浪なさったため、すでに成人していらしたそうです。)
さゆり お父様には早くから後継になれと言われていたのですか?
福井  いや、全然。「俺は野口英世の母にはならん!」って常々言ってたんですよ。知ってます?野口英世の母は野口英世がアフリカにいっても「帰ってこい」って手紙を代筆してもらって、ずーっと出してたんです。 それなのに、僕が大学3年の夏上京してきて「帰ってこないか」っていうんだもんなー。(笑)でもまあ、高校、大学と実家でアルバイトもしてきたし、田舎で働くのも楽しそうだなと思って承諾しましたけどね。(笑

■ワインとの出会い

さゆり 大学卒業してすぐ戻ってこられたのですか?
福井  いえ、長年商売でおつきあいがあったサッポロビールさんに4年半お世話になりました。最終的に本社でワインマーケッターを経験してワインと出会ったことで僕の「今」があると思っています。
さゆり 奥様の富士子さん(※日本ソムリエ協会公認シニアワインアドバイザー)とはワインを通じて知り合われたのですか?
福井  社内恋愛なんですよ。 ただ、彼女は先に会社を辞めて本格的にワインスクールで勉強をはじめましたね。
さゆり 東京出身の奥様が岩手にいらして、ワインスクールやお店(カーブ&レストラン ヴァンダンジュ)の経営で活躍なさっていますね。ご結婚はすんなり決まったのですか?
福井  いやいや。(笑)もう、両親、親戚、友人、全員大反対。
さゆり 岩手にソムリエなんかいるのか、と?
福井  それよりも、岩手にワインなんかあるのか、と(笑)これは冗談ですけど、まあ会ってもらって僕の人となりをわかってもらうしかないので。「あきらめない」の精神ですよ。
さゆり 頑張った甲斐ありましたね。 ワインの魅力はどんなところですか?
福井  ワインは味、葡萄の品種、産地、時間と4次元的味わいがありますよね。 その味の幅が非常に広い。女房が「マリアージュ(結婚)」って表現するんですけど、ワインは食との組み合せで新しい世界の広がりがあるんですよ。そこがおもしろいですね。今年の秋には「Exit」てっていう名前のオリジナルワインを発売します。 一日の仕事が終ったら、ここから「出て」次の世界に行こうよ!って意味をこめたわけです。
さゆり いい名前! ネーミングはご自分で?
福井  はい僕がつけました。「銀河高原ビール」も僕が名づけたんですよ。

■自分のビールを造りたい

さゆり 「銀河高原ビール」に関するお話をしていただけますか?
福井  ワインももちろん大事だけど、自分はビールから始まったんでやっぱりビールをやりたいな、と。平成5年の規制緩和でビール製造の下限値が60キロリットル以上に引き下げられたんですよ。「自分にしかない商品」で「新需要創造」しなくちゃなあと。 商品力のある自分のビールを造らなければ会社はなくなるとまで思いましたね。
さゆり それが「地ビール」作りの動機になったんですね。
福井  とはいうものの、400キロ以上造らないと採算とれないんだよね。 資金不足で一旦頓挫しました。でもどうしてビール作りたくてね、 シャンプーの泡みては「これがビールだったら」 シェービングフォーム見ては「この泡いいな」 って頭から離れない。(笑)寝ても覚めてもビールなわけです。そんな時、友人に東日本ハウスの中村功社長を紹介されて。話してるうちに、中村さんが「今度沢内で地ビール造るんだ」って言うんですよ…(笑) これは絶対止めさせなきゃ!って。 (笑)
さゆり 大手に先こされちゃ、まずい!と。
福井  「何キロ位造るんですか?」って聞いても「具体的なことはまだ決めていない」って言われて。僕は経営計画作って収支決算までした男ですから「そんな生半可なことじゃできませんよ。」ってつい言っちゃったんです。そしたら、中村さんがホント怒ってね…。謝ったら 「何でお前あんな事言ったんだ?」って。「いや 実は自分はビールやりたくて名前まで考えていました」と言った訳です。 そしたら「何ていう名前だ?」って聞くわけですよ(笑)
さゆり 名前とられちゃう! と?(笑)
福井  そう、教えなかったら「なんだ、腹の小さいやつだ。」って言うからしぶしぶ「銀河ビールです」って言ったら「お!いい名前だな!」 って(笑)「とられた~!」って思った~。(笑)結局、どういう売り方をしたいかまでしゃべっちゃって、別れてから「とられなきゃいいな~」と悶々としてたわけです。
さゆり 洗いざらいしゃべった後で悶々と(笑)
福井  そう。そしたらある日電話を頂きお会いしたんです。すると「君はまだ地ビールや る気はあるのか?」と聞かれました。即座に僕は「もちろんです!」って答えたら、「俺は若い経営者を育てたい。お前やってみんか?」って言われたんです。
さゆり すご~い、ドラマみたい!
福井  いや様々な試行錯誤がありました。でも中村社長に叱咤激励され、様々な教えを頂 き乗り越えました。そして、岩手だけで売るって考えず販売量の1000キロっていうのは、1万人に1人が飲んでもらえればいいと計算したら気が楽になったんです。完全なニッチでいいわけですよね。新しいビールのカテゴリーを確立してファンを作る作る戦略でいこうと。岩手から初めて次に東京に飛びました。東京での反響は大きかった。そこで全国を対象にした沢内の工場とは別の会社が設立され、その時僕は親父の体調が悪くなったので家業の成瀬に戻ったわけです。
さゆり つい先日銀河高原ビールは清算、沢内村での生産に絞ると報道されましたね。
福井  沢内に帰ってくる。そしたらまた原点に戻りもう一度1000キロのマーケティン グをやろうと思います。
さゆり 東京に出て行った子どもが里帰りって感じですか?
福井  ハハハハ!(笑) 今後はワインだけじゃなく、ビールでも新しいブランドを作っていこうと思っています。
インタビューを終えて
話術に長けている福井さま、カタイ話題にもかかわらず始終爆笑のインタビューになりました。文字数の関係で割愛した部分も多々あり断腸の思いです!社員の皆さまには「損得」ではなく「善悪」を行動基準にする様くり返し話されているそうです。福井さんにとって社風とは「行動基準」すなわち「イズム」であるとおっしゃいます。
朝礼では全員に同じ本を配布し、自ら朗読すること、お給料袋にはひとりひとりお手紙を同封していること等、社風の浸透心を砕いておられました。大手資本が続々参入している中、地場資本の問屋が戦う姿を「戦国時代群雄割拠する中、真田一族や山中鹿之助のような境遇」と例え、「社員全員忍者にならなければいけない。」と言い切ります。 この卓抜した比喩表現!さゆりがはまっている漫画「NARUTO」を彷彿とさせる凛々しいお姿。これからの戦いぶりに目が離せません。

投稿者 bcac : 2005年09月08日 12:48

コメント

福井様ありがとうございました。
奥様にもお会いしたいし、おいしいマリアージュを楽しみたいので
ヴァンダンジュにも御邪魔させて下さい!(^-^)/

投稿者 sayu : 2005年09月09日 12:12

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